未来医師会ビジョン委員会 平成16年3月答申 日本医師会 


 

未来医師会ビジョン委員会答申「今、医師会員として何をなすべきか」−地域住民・国民とともに−

平成16年3月

日本医師会
未来医師会ビジョン委員会


平成16年3月

日本医師会
  会長 坪井 栄孝 殿

未来医師会ビジョン委員会
委員長 小森 貴

未来医師会ビジョン委員会答申

 未来医師会ビジョン委員会は、平成14年8月7日の第1回委員会において、貴職から「今、医師会員として何をなすべきか」について諮問を受けました。

 これを受けて、委員会では2班で構成されたグループディスカッションを交えて計9回の委員会を開催し、さらに平成14年には東京で合宿形式の委員会、平成15年には金沢で自主合宿を開催し議論を深めてまいりました。

 これらの議論を踏まえ、ここに委員会の見解を答申に取りまとめましたので、報告致します。


未来医師会ビジョン委員会
委 員 長 小森  貴 小森耳鼻咽喉科医院院長/石川県医師会理事
副委員長 村上  博 村上循環器科病院院長/松山市医師会理事
委  員 伊藤 公一 伊藤病院院長/東京都医師会病院委員会委員
今村 英仁 財団法人慈愛会副理事長/鹿児島県医師会医療政策経営委員会委員
江頭 有朋 ちゅうざん病院/沖縄県医師会理事
河内 賢二 河内循環器クリニック院長
小澤 忠彦 小沢眼科内科病院院長/茨城県医師会理事
近藤 信和 近藤整形外科院長
空地 顕一 空地内科院院長/兵庫県医師会医政委員会委員
タカ村 一郎 高村内科医院院長/小樽市医師会理事
堤  康博 堤小倉病院院長/福岡県医師会理事
鶴岡 美果 星総合病院耳鼻咽喉科医長
中嶋 章作 中嶋クリニック院長/京都府医師会理事
英  裕雄 新宿ヒロクリニック院長
八鍬  直 八鍬医院院長
米山 芳雄 日本医科大学附属病院女性診療科・産科講師
(五十音順)


目 次
はじめに
第1章 医師として何をなすべきか
第2章 医師会員として何をなすべきか
第3章 医師会として何をなすべきか
第4章 地域住民・国民とともに
おわりに
はじめに

 本委員会に与えられた諮問「今、医師会員として何をなすべきか」を討議するにあたり、さらに深い原点である「一人の医師として何をなすべきか」について議論を深めることが不可欠であると考えた。

 医師が最善を尽くしたつもりでも、患者の状況が好ましくない経過や結果になることは少なくない。あるいは医師にとって満足すべき経過や結果であっても、患者の期待とは乖離していることがあり得る。患者・国民が我々医師に何を求めているのかを探求し、真摯に応えようとする姿勢を自らに課そうと試みた。さらに自らの思念と行動をいかに律し実際の診療にいかに反映させるかを問い、具体的なロードマップを描こうと努めた。

 人はみな誤りを犯す存在であることを理解しているが、自分が犯した誤りを認めることはだれもが苦手である。可能な限り誤りを認識し、誤りを予防することはすべての医師に求められている基本的な態度である。最善を尽くしていない場合は、これに気付き診療態度を改善しなければならない。

 第1章では、互いに真摯に自分自身の人間性を問い、自分に誓い、また患者に対して、社会に対しての「約束」についてまとめた。これは選挙に用いられる公約もどきの口約でもなく、自分にとって都合の悪いことは明らかにせず、具体的数字の根拠に欠けるマニフェストでもない。改めて自分自身の態度を見直し、各々の医療を向上させるために自分たちに足りないものや犯しがちな誤りを具体的に探し出している。いずれも、一人の医師として欠けてはいけないものばかりである。

 第2章では、高い臨床能力を獲得、維持するための具体的な方策を探るとともに、国民に開かれ、透明で最善の医療制度を構築するために医師会員としてとるべき道を模索した。医師免許・保険医資格・専門医認定試験等に厳格な生涯教育制度の試練を取り入れることを許容する姿勢は、医療現場の真只中にいる若い医師からしか発言できないことと考えたのである。種々の既得権と呼ばれる事柄にメスを入れたほか、応招義務を果たすため医師会が会員の行動に箍をはめるなど、かなりの波紋を呼びそうな提言も織り込んだ。医師の持つ諸権限が国民から負託されたものであることを厳しく見つめ直し、研ぎ澄まされた姿勢を自らに課すことを条件に、自らの信ずる最善の医療を自らの自由意志によって行う権限を、国民から改めて負託されようとしたのである。

 第3章では、国民が安心して生活ができる社会を作るために、医師会がとるべき道について提案した。自浄作用活性化のためには、医師会の強制加入団体への変容の議論は避けることはできない。自治権もまた国民から負託されるものであるからだ。一委員会では結論の出せる問題ではないが、あえてこの問題に踏み込み、これからの議論の高まりに期待した。地域医師会での中立委員会の設立は、歪められた視点を意識する余り適正な医療が萎縮し、患者に対して最善の医療が提供できなくなることを恐れたための提言であることに留意して欲しい。さらにこれから極めて重要となる、国際化する医療に的確に対応できる医師を養成する任務を、医師会に負わせた。

 これらの議論の過程で我々が常に考え続けたことは、答申に向けての思惟や行動は我々医師のためでも医師会のためでもなく、患者・国民のためであり、我々自身もまた患者であり、患者の家族であり、国民であるということであった。

 このため第4章では、我々の拠って立つ地平は毎日の診療であり、患者の直向きな視線に必死で応えようと足掻く自分の魂であることを再確認したうえで、我々の進むべき道もまた患者・地域住民・国民とともにあることを改めて見つめ直そうとした。患者とともに、国民とともにあるということはどういうことなのか。稚拙であっても具体的な施策を書き込もうと努めた。思弁の迷路に彷徨うより、非難を恐れず、信ずる第一歩を踏み出す勇気を持ちたいと願ったからである。


第1章 医師として何をなすべきか
(1) 病者を全人的な存在として診療にあたることを約束します

 「病気を診ずして、病人を診よ。」白衣をまとっているだれもが常に自分に問いかけていなければならない言葉だが、慌ただしい診療の中でこの大切な精神をつい忘れがちになってしまう。

 診察の基本は、身体の外側から知り得る病を診るところにある。視て、聴いて、触って、器質的異常と機能異常を診断することに医師の責務があるのだが、飛躍的な臨床検査の進歩に伴い、基本的な診察が必ずしも万全でなくとも診断がつくようになってきた。聴診器の歴史にしてもたかだか120年ぐらいであり、それ以前は確かな目線で患者の全身を見つめ、素手で丹念に触診をし、該当する症状の有無を一つ一つ確認したうえで、診断を下さなければならなかったのであろう。これが診断学の基本であり、診療機器の整備されていない時代では、随所で医師の五感が試されたのである。臨床医学の進歩によって多くの恩恵を受けられるようになった反面、医師の感性が失われてきていることも一面の事実である。

 視ること、聴くこと、触ることはコミュニケーションの基本である。病人を診ずして、病気を診ることにならぬよう、病者を全人的な存在として診療にあたることを改めて約束する。

(2) 障害や病気と称されることもある特性を含めて、人はかけがえのない尊重すべき個性を持つ個人であることを常に意識することを約束します

 聴覚障害は、単に聴こえないということだけでなく、コミュニケーション障害を引き起こす。コミュニケーション障害は人と人の相互関係の問題であり、その原因を一方だけのせいにすることはできないはずである。しかし、我々は聴覚障害と闘う子どもたちに、障害を克服する努力こそが大事であり、健聴者と同じようになることを価値あることとして教育してきてしまった。聴こえないという個性に目を向けず、聴こえる人のようになろうと努めさせることは、聴覚障害を持つ子どもの健康なアイデンティティ形成の芽をつんでしまう危険がある。

 本来、聞こえないことは決して悪ではなく、身体的な差異に過ぎない。聞こえないことは、不幸でも、かわいそうなことでもなく、とても不便なことに過ぎず、その不便さも健聴者が多数派であるために構築してきたものであることを再確認しなければならない。

 また、広汎性発達障害には認知の障害があるといわれ、独自の感覚の世界を持つことが分かってきた。大切なことは、我々とは違う世界が存在するということを、どれだけ深く理解することができるかの能力を問われているということであり、彼らの世界を障害と名づけて、一般の感覚の世界に無理やり合わせようと強制することが治療であると思い違いをしてはならないのである。

 障害という漢字は、本来は障碍と書かれるべきであると考える。碍という字は石を太陽にかざすと一部光が少なくなるという意味だ。健常の人が優れているわけではない。人間はみな完璧ではないのだから。

 聴覚障碍、視覚障碍、知的障碍,情緒障碍、肢体障碍。生まれながらに障碍を持つ人、その家族、人生の途中で障碍を持つ人。それぞれの人の人生は、様々な喜びと悲しみとに彩られてむしろ豊かである。

 障害や病気と称されることもある特性を含めて、人はかけがえのない尊重すべき個性を持つ個人であることを常に意識することを約束する。そのうえで、出来る限りの努力をして、一人一人の世界を感じ取り、理解したい、ともに生きたいと思う。

(3) 医師の基本的態度であるHealth Care Ethics(医療倫理)を再点検することを約束します

 患者は自分の診断・治療について積極的に考えている。様々な手段で医療情報にアクセスし、比較してから医師を選び、選んだ医師に質問し、医療のプロセスに参加し、また別の医師の意見を求める。そのような中で医師の役割は変化してきている。医師は専門的な知識を持ってより良いアドバイスを提供する義務を持つが、すべてを決定する権限は有せず、あくまで「患者チームの一員」である。しかし、医療提供チームの中ではリーダーとしての責任を果たさなければならない。

 患者の評価を過剰に意識する医師も見られるようになった。自身の能力を過大に語ったり、他の医師の行為を根拠なく否定したりする。必要以上に楽観的に説明したり、反対に病態を実際以上に悪く言ったりすることもある。他医に患者を紹介するのは、自分の手に負えなくなってからか、自分が診療したくないときであったりする。こういう医師は極く少数であろうが、その社会的影響は大きい。必要なのは透明であること、責任を持つこと、虚偽のないこと、患者を絶望させないことである。

 診療現場では医師は最善の治療法をすでに決定している状況が多い。このため複数の治療法について説明するとき、医師が推薦する好ましい治療法の効果を強調し、好ましくない治療法の弊害を誇張する傾向がある。患者の自己決定権は極めて重要な倫理的概念であるが、この問題を医師一人一人が今一度深く考えてみる必要がある。

 患者の自己決定権と医師の裁量権は、本来敵対するものではなく相互補完的な概念である。疾病という予期しないリスクと不確実性を抱えたとき、患者が元気だったときと同じ判断ができる可能性は少ない。この障壁を除き、患者が自分に対して行われる医療について可能な限り十分に理解されるように努めるのが医師の裁量である。医師が満足するための裁量権ではない。患者本位の全人的医療には、医師の裁量権は欠かせない高度な医療技術であるとさえいえる。

 臨床的問題に対する患者の認識を共感・理解したうえで、問題点に対する医師の認識を提示するだけでなく、患者の認識と医師の認識の相違点を認め、話し合いのうえで治療を勧める。その際に必要なのは同意でも選択でもなく合意である。

 医師であればそれだけで信頼されるという甘えは幻想である。社会が寄せる医師への信頼は、医師が義務と倫理を厳しく守ることを前提にしている。明文化された「医師の職業倫理指針」に反した者は、何らかの罰則を科せられるべきである。これまでは倫理とは主観的・自発的なものであり、他から強制されるものではないとの考えが支配的であったが、国民に不利益が多く発生している現状からは、医療倫理(Health Care Ethics)を規程として文章化し、患者・国民に明確なメッセージとして伝えるべきである。

 医療倫理を徹底するのは教育である。卒前教育も重要であるが、卒後教育も実践的な倫理を知るうえで大切である。医師会の患者苦情相談窓口をさらに機能させ、苦情に関する情報を蓄積・分析する。全会員に結果をフィードバックし意識向上を図るほか、各個人にも情報を還元し具体的改善を求める。違反者には課金制度を適用する。課金は基金化して被害者救済に充てるほか、違反者の再教育プログラムとして還元する。

 保険医資格更新にあたっては、適切に吟味された試験結果、地域医師会の意見陳述、地域住民から寄せられた情報を点数化して評価する。問題が多い場合は、該当する医療行為を再研修が完了するまで停止させる権限を、保険医更新評価委員会に与えることとする。

 ただし、アメリカのPRO(Peer Review Organization)のような同僚審査機構と同じ失敗をしてはならない。審査をする医師の倫理や教育も必要であるし、審査の目的を明確に自覚できる審査員を養成することが大切である。

 以上の作業をどこが行うべきなのか。まず自分たちで始める努力をする。自己満足だけでは全く不十分である。

(4) 喜びの医療を追求することを約束します

 医師の活力の源は患者の喜びの声だ。昼食を食べる暇もなく午後の診療が始まっても、喜びの言葉を聞けば苦にはならない。夜間救急で起こされても喜びの声が疲れを癒してくれる。

 しかし近年、医療はサービス業とされ、デパートやホテルのサービスと同格に評価される風潮が出て来た。「患者さん」が悪くて「患者様」が良いとされ、他人行儀であっても丁寧なほうが良いとさえいわれる。病院で丁重なサービスを受けることで、本当の喜びや感謝の気持ちが湧くのだろうか? 心配なのは薄っぺらな表面だけの医療が横行することだ。

 喜びの医療の実現のためには、診療にあたっての医師の基本的な姿勢が最も大切である。医師は国民に信頼され尊敬される存在であるよう、専門職能者としての技能・科学性と人間性を高めるために弛まず努めなければならない。医師会は、医師会員資格維持のための倫理規定を設け、これに反する場合は除名する。一定の倫理性を保持していることを認定された医師には証明書を発行し院内掲示する。証明書には具体的な活動歴を記載する。日常診療、学校医活動、予防接種、地域住民対象の講演会への協力、夜間救急の対応も評価すべきである。医師会活動も大切で、倫理感を堅持した医師集団を目指し活動していることを明示する。

 医療はサービス業ではなく人類愛に奉仕するものである。この考えを根底に置くことなしに真の喜びの医療はあり得ない。患者に喜んで頂き、患者から感謝の気持ちを頂き、自分たちも喜びを感じる医療、喜びを分かち合える医療を追求したい。

(5) 診察室から出て自分を、世界を語ることを約束します

 医師患者関係の不信には、医療内容に対しての疑義とともに、人間としての医師に対する不信感も同時に存在している。治療は技術であるが、施術者の持つ人間性とともに、その人の哲学や人間観等も治療技術に影響してくることは論を待たない。治療はアートだと情熱を持って語る老練の医療者も多い。治療行為がアートであるとすれば、そこには治療者、アーティストの想いの多様性が存在するし、また要求される。それはまさに治療の場で輝くべきものであるかもしれない。医療の歴史を振り返ると、先哲の素晴らしいアートをそこに発見できるし、また彼らのこぼれんばかりの熱意と哲学が伝わってくる。同時に先哲たちの魅力は、治療の場を超えて、普段の診察室を離れた生活の場でも発揮されることを見い出すこともできる。あるものは医師であると同時に文学者として、また芸術家としても在り続ける。

 医学教育や臨床研修は過酷である。正攻法で挑んで習得することもあるだろうが、概して乗り切るための心理的なバランスを、「遊び」に求めることが多いといったら過言であろうか。「遊び」は人間の原初的な性向と指摘されるが、「遊び」を中心とした行為が我々医師の心身を正常に保っているという事実に同意する仲間も多いと思う。この「遊び」の中核は好奇心である。好奇心という心理機能は、複雑な時代、困難な状況をも乗り越えることを可能にする力である。先達だけでなく同僚など身近な存在を見ても、器用に好奇心の発露である「遊び」を自己の精神性にまで昇華しているものも実に多い。医療面で現れる人間性と異なる一面かもしれないが、そこに一人の人間としての活き活きとした有り様もみえる。医師の精神を支えている基本的な心理であるこの旺盛な好奇心を、今一度発揮すべきときである。

 医師として社会に関わることの必然は言うまでもないが、一人の人間として関わるとき、この「遊び」を一つの表現形として持ち、一人の市井の人間として社会に寄与していくことも、広義の医療として位置付けても良いのではないだろうか。そこは信頼される医療を裏打ちする医師の人間性が直接に表現される場でもある。それが文学、音楽、美術、スポーツ等、何であってもいいのである。高邁なものは必要としない。今まさに診察室を出て、医師の肩書きを捨て、人と「遊び」、自分を、また世界を語ることを約束する。

(6) 地域で小さいながらも確実な一歩を踏み出すことを約束します

 一医療者であっても、それぞれの医療現場で感じたことは非常に重要であり、自ら信じる地域医療を実際に行い、社会の批判や評価を受けながらさらに視野を広げることが重要である。このために以下のことを約束する。

1. 多様な社会資本との協働を試みながら、いかに良質なチーム医療体制を構築するか模索します

 高度化、多様化、複雑化する医療ニーズに確かな答えを出し続けるためには、一人の医師の力では不十分で、真のチーム医療提供体制が不可欠である。さらに各々の医療チーム員が十分に力を発揮するためには、それぞれがより主体的に参加する機会を保障することが大切である。しかし医師個人の単独資本でこれらの機会を作ることは困難である。経済的・知的・人的資本など多様な社会資本参加を図りながら、さらに医療現場での患者中心主義を全うする方策を探る必要がある。雑多、無作為に他資本が導入されることで医療の理念が歪められる恐れがあるため、医療分野への他資本参加の指針作りのための実地研究を行うと同時に、研究成果が医療現場に還元されるよう努める。

2. 地域医療提供体制全体での医育をいかに図るか模索します

 病床数の削減、平均在院日数短縮化の影響で、病院の医師需要数が減少する可能性がある。一方で社会保障費の削減から医療経営環境自体が悪化しており、病院経営はもとより地域開業も決して容易な時代でなく、今後若い医師たちが力を発揮できる場所が少なくなることが確実である。すでに地域医療に参加しているものとして、若い医師たちが地域医療のフロンティアに、より参加しやすい環境整備を目指すことを約束する。

3. 相互扶助・セルフメディシンの拡充をいかに図るか模索します

 人口の高齢化や生活の多様化が進展しており、良質な医療に対するニーズはますます高くなってきている。このようなニーズのすべてを狭義の社会保障費で対応することが困難になってくると予想されるが、自費医療の拡大で対応するのでは国民の均等な医療機会が保障されない。国民の医療知識が拡充しつつある現在、セルフメディケーションの充実こそが必要である。さらにセルフメディケーションを互いにサポートしあう相互扶助的地域体制も不可欠であると考える。セルフメディケーションを中心にし、それをサポートする住民団体および医療提供体制をいかに作るかを考え実践していくことを約束する。

4. 往診のすすめ

 往診は、十分な検査や治療機器の揃わない場での医療行為であるため、返って危険な医療であるとの意見がある。しかし往診には、患者の社会生活を踏まえながら医療構築することができるという、変え難い利点がある。かかりつけ医にとっては、患者の療養医療を構築するために、またとない情報を得る機会となる。往診は患家の依頼に基づいて提供される医療であり、たとえその場で実際に提供される医療的解決能力が院内で行われるものに比べ比較的限定されていたとしても、依頼に応えて往診する医療者の姿勢に患者・家族は共感するのである。このようにして往診を通じて養われた医師患者関係は、双方にとって非常に強固なものとなり、往診の地道な積み重ねこそが今後のかかりつけ医療、ひいては医療全体の正常な発展に大きく寄与するものと考える。


第2章 医師会員として何をなすべきか
(1) 高い臨床能力を維持し続けることを約束します
−観察医訪問制度、医師免許更新制、保険医更新制・定年制の導入、専門医認定制度の再検討−

 我が国の医療における問題の一つは、医師の臨床能力に対する客観的保証・評価が欠けていることだ。医師は日々最新の医療知識・技術を修得し、常に最善の医療を実施しようと精進しているが、個々の医師の自覚に委ねるだけでは十分ではなく、臨床能力の質を実際に評価するシステムが不可欠である。

 医師の臨床能力不足のための診断の遅滞や適切な治療の不実行によって、病状を悪化させている場合があり得る。患者も必要以上に医療施設を受診し同様な検査を繰り返してさらに診断が遅れる。このような負の連鎖は無駄な医療費を増大するだけであり、あってはならない不幸である。

 しかし、医師個人が臨床能力の向上・維持に努めようとしても、我が国における大規模な臨床試験データは現時点では不足しており、診断・治療にオプションが考えられる場合、インフォームドチョイスの名のもとに無意識のうちに医師の好む診断・治療法に誘導してしまう場合がある。いつしか独善的な医療に偏位しないよう自戒を込めて日々精進する必要がある。

 病気を正確に診断し迅速に治癒させられる医師になり、そう在り続けるという臨床能力の質的保証を実現させるためには以下の条件整備が必要である。

1. 観察医訪問制度の導入

 勤務医であろうと開業医であろうと一定の期間、地域医師会、医育機関から推薦された他医の訪問を受け、自己の診療を観察される仕組みを導入する。観察医は対象医師の観察記録を地域医師会に報告する。

2. 医師免許更新制の導入

 日々医学は進歩し、我々医師も学習・研鑽を重ね、患者本位の医療を実践するために努力している。その証として医師免許を更新制とし、緊張感を持って診療にあたる。最新医学・医療知識・手技の確認、面接による医師としての適性審査。日本医師会生涯教育制度研修の義務化。

3. 保険医更新制の導入

 保険診療に対する知識の確認。診療内容の医学的妥当性審査と同時に社会保障制度に関する研修受講。地域医師会の意見陳述を踏まえ、保険医更新評価委員会の認定のもとに日本医師会の認可。

4. 保険医定年制および限定保険医制の導入

 特別な例外を除いて年齢とともに身体機能は衰える。上記1、2、3をクリアしても最善の医療を実施できる年齢は限られており一定の定年制(72歳)を導入すべきである。保険医でなくとも医師として地域医療に貢献できる方法は多岐にわたる。若年の保険医の指導等、むしろ長年の経験を有する医師こそが活躍できる場がある。高齢のため保険医を辞退する医師の活動の場を公的に保障、支援する。また72歳以上でも保険医継続を希望する医師のために、限定保険医制度を導入し保険診療の範囲を限定する。日本医師会の認可。

5. 専門医認定制度の再検討

 各学会専門医認定のための学習プログラム・認定試験制度の第3者機構による検定が必要。研修プログラムの計画と履修は従来どおり各専門学会が担当するが、認定試験実施、専門医資格認可は日本医師会が加わる第3者機構が実施。

6. 標榜科目の制限

 国民から信頼される医療を実践するため、標榜科目は専門的に研修した科目に限定する。

7. 医師会主導による大規模臨床試験の実施およびデータの集積、開示

 医師会が主体となって科学的に厳正な臨床試験を実施し、それに基づく明確な診断・治療指針の提示を行う。日本版(アジア版)EBMの集積。

(2) 客観的医師評価制度を作ることを約束します

 患者はどのように医師・医療機関情報を得て受診しているのだろうか。口コミ、雑誌、病院評価書籍、インターネットから医療設備の設置状況等の情報を得ることができても、医師本人の情報を得ることは困難だ。これから診察を受けようとする医師の経験年数、専門性を予め知ることは難しく、医師の臨床能力や人間性について知ることは不可能に等しい。

 医師は、医療行為も科目標榜も自由である。認定医・専門医の資格を有する医師も有さない医師も、同じ医療行為が可能であり保険点数も同じである。現在までは個々の医師、医師会のモラルにより一定の自主規制が保たれているが、制度としての担保が必要である。国民に対し医師情報を公開することは医師会としての重要な使命であり、患者・国民に開かれた医師評価マニュアルを作るべきである。

 認定医・専門医資格の有無、研修履歴、専門分野などを点数化し日本医師会医師評価を実施する。評価点数の自己広報は自由とする。日本医師会員でなければ評価を受けられない。客観的評価制度は各科によって多くの事情があり、その作成は困難を極めると考えられるが、国民に分かりやすい医師能力評価基準を作ることを約束する。

 具体的には、まず第一歩として日本医師会ホームページに会員名簿を掲載し、氏名、生年月日、医師免許取得年月日、出身大学、専門医資格、職歴等を公開する。患者はここにアクセスすれば医師の客観的評価が少しでも可能となる。掲載を拒否する権利を医師は担保されるが、日本医師会は国民のために公開することを広報し理解を求めるべきである。

(3) 国民に見える医療システムを構築することを約束します

 健康保険証さえあれば、全国どこで体調を悪くしても、安心して高水準の一律の医療を受けることができる。いつでも、どこでも、だれでも。国民皆保険制度は、僅かな負担で一級の医療を享受できる、世界に誇る日本型医療システムである。社会制度は、どんなに素晴らしいものであっても、時代の社会的要請を反映するものでなければならない。現在求められている社会的要請とは、医療制度における透明性の確保と説明責任である。

 医療費はいくらかかるのか。どこの医療機関を受診すれば最良の結果が待っているのか。この不安を安心に代える方策が現在の医療制度の中には欠けている。

 保険医療機関で診療を受ける場合、療養に要する費用額の算定方法は全国一律に決められている。診療報酬点数表は国が定めた価格表であり、自分が受ける医療の値段について事前に知ることができるはずだが、現実には医療機関受診前に負担額を知ることは極めて困難である。診療報酬体系は複雑で細分化が著しく、知識も情報量も格段に少ない患者への配慮、説明責任がなされていない。

 医療行為そのものは極めて専門性が高く、患者や家族が完全に理解することは不可能かもしれないが、診療報酬は医療制度であり、国民に熟知されたうえで利用されることが望ましい。この意味から、診療報酬点数表はより簡素化され平易な文章に改められるべきであり、行われる診療行為とその対価について一般の国民が理解できるものとすべきである。

 我が国では医療機関へのフリーアクセスは保障されている。しかし、患者にとっては受診する医療機関の質についての情報を得ることは困難だ。本来、フリーアクセスは、最も良い医療を提供してくれる医療機関を、だれもが自由に選択できる制度でなければならない。様々な診療科において医療機関の質を一律に評価することは困難を極める。しかし、現実に医師が患者を医療機関に紹介するときには、それなりの医療機関評価を行っているはずだ。医師個々になされているものであれば、公平で客観的な医療機関評価の方法を研究し、医師の技量に基づいた医療機関評価を確立し国民に提供することが可能なはずだ。

 トイレの清潔さや受付の接遇、アメニティの良し悪しだけから医療機関を評価する呪縛から解き放たれることが大切である。在院日数・在院中の死亡内容および死亡率・再入院率・患者または家族の満足度・手術件数と達成率・検査件数と内容・セカンドオピニオンの受入れ状況等、知恵をしぼり検討を加えれば、何が医療の質を反映するパラメーターとなるのかを知ることができるはずである。医師会が医療機関評価を実施できるほどの環境が整ったとき、我々医師会員は、医師会に所属することの意味を、評価し評価されるものとして知ることができる。

 このため以下の提言をする。

1. 直ちに実施すべきこと
1) 日本医師会ホームページに疾患別外来治療価格表・手術別入院治療価格表を準備し、一般的な医療がなされたときの料金体系を公表する。
2) 患者・家族からの問い合わせに答える「保険の窓口」をホームページ・ファックス・留守番電話の各媒体を利用して開設し、診断・治療に関わる保険内容を解説する。
2. 準備の期間を必要とするが早急に実行すべきこと
1) 日本医師会が簡素化した医科診療報酬点数と早見表を試作し、事務手続きの省力化と経営上の公平性を実証する。
2) 医師の技量・病院の機能を評価する委員会を設置し、検査や手術の現場を公開調査し、その結果を公表する。
3. 実行に向けて調査・研究すべきこと
1) 日本医師会の医療機関への実質的な調査権の確立
2) 日本医師会によるすべての医師・医療機関の機能評価の公開
3) 日本医師会による医療の質を確保するための医師・医療機関配置の計画立案とその実行
(4) かかりつけ医として応招義務を守ることを約束します

 「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当の事由がなければ、これを拒んではならない」(医師法第19条)

 医療提供体制の整備、国民皆保険制度の施行により、世界に類例を見ないほど日本の医療は充実した。いつでも、どこでも、だれでも、医療を受けられる体制ができ上がった。このことは医療体制として、集団として、応招義務を果たしていることを意味する。

 それでは個としての応招義務はどうだろう。かかりつけ医こそが個としてその義務を果たすべき存在ではないだろうか。日本医師会員のうち実際どれだけの者がその役割を果たしているのか。医師法第19条における「診療に従事する医師」とは、「自宅開業の医師、病院勤務の医師等公衆又は特定多数人に対して診療に従事することを明示している医師」のこととされるが、法解釈当時と現在では開業形態も大きく様変わりした。職住分離の開業医が増え、時間外の診察治療の求めに応じられる者が少なくなってきている。医師法では応招義務を果たさない医師に罰則はない。しかし、日本医師会としては努力目標で良いという立場はとらない。

 地理、経済、体力、治安、プライバシー等、応招義務を果たすことへの障害は多い。しかし、かかりつけ医推進事業を展開するうえで、日本医師会は何らかの措置を講じるべきだ。それは診療報酬に求めるべきものではなく、医師会独自の行動として行うべきものである。

 この方向性を明らかにするには会員の立場の差別化を内外に明確に示す必要がある。対外的にはかかりつけ医レベルの公表であり、対内的には会費の格差付けである。職住一致で時間外も診察可能な者、職住分離ながら携帯(転送)電話で常時連絡がとれる者、職住一致でも時間外の連絡がとれない者、職住分離のうえ時間外の連絡もとれない者等、それぞれのレベルに応じたランク付けを行う。

 すでに職住分離している者が職住一致へ変わることは容易ではない。しかし新規に診療所を開設する場合には、開業形態を選択する際の重要な基準になる。通信技術が発達した現在、前者にとってさえも時間外の相談の求めへの対応は可能なのであり、かかりつけ医としての応招義務を果たす方向へ流れは向くことになるであろう。

(5) 独善的にならないよう、国民とともに医師の持つ権利を見直すことを約束します−医師の諸権限を改めて負託されるために−

 医師は、生命や健康を病気や傷害から守るという、重大な任務を国民から負託されている。この任務の遂行のため、様々な権利・権限を有すると同時に、国民に対して多大な責任を負っている。

 これらの権利は元来、正当な理由の裏付けと国民の信頼に基づいて与えられたはずだが、社会情勢や経済状況の変化に伴って、正当な理由が失われた再考すべき権利の存在が疑われる。また時代の要請によって、新たな責任と義務の履行を期待され、新しい権限の負託が必要となることもあるはずだ。

 医師は現在自らが保持している権利・権限について、その預託者である国民とともに一つ一つ再検証しなければならない。そして正当な理由の見出せない権利があればそれを返上し、その在り方を変更する必要があるものについては早急に議論を始めるべきである。国民本位の医療を実践するために守らなければならない医師の権利については、プロフェッションとして躊躇することなくその必要性を訴え、国民の理解と賛同を得なければならない。

 医師の権利・権限を見直す作業は膨大で、慎重に検討しなければならない問題も含まれており、そのための制度や環境の整備が必要である。このため、患者、国民、司法関係者、学識経験者、医療関係者、医師の各代表で構成される「医師の権利検討委員会」を創設する。委員会は医師の義務と権利について現状分析を行うとともに必要な改革を提案する。委員会の議論は公開し、インターネット等を通じて国民全体から幅広く意見聴取を行うものとする。

 また、医師本来の任務を遂行することとは無縁の既得権の存在を明らかにし、コンセンサスが得られやすいと思われる事項を以下に挙げ、改革の手始めとして提案する。

 これらの改革を国民とともに検証し実行することによって、診療現場で自らが最良と考える診療行為を自由意志によって行う裁量権を、国民から改めて負託されることを希求するものである。

1. 医師の任務遂行のために国民から負託された権利・権限

 第2章(1)で詳述した。

2. 医師の任務遂行とは関係の薄い諸既得権
1) 租税特別措置法による4段階税制廃止
 租税特別措置法による4段階税制は時代的役割を終えたので廃止し、医業に関わる税制について抜本的に再検討する。
2) 医師国保組合の廃止、統合
 医療制度改革に伴い、保険者の統廃合・合理化が必要である。このため医師国保組合を解散するとともに、都道府県単位、道州単位で新たに国民健康保険制度を創設する。
3) 医療法人の持ち分比率の見直し
 非営利医療法人の存在意義が、持ち分比率等のために株式会社導入の便法に使われている。非営利の原則を貫き、国民が納得できる形で在り方を再検 討する。

 国民とともに医師の権利を見直すことによって、患者・国民と医師の信頼関係を揺るぎないものとし、医師の独善に陥ることなく、国民本位の医療、国民の利益にかなう医療を達成できるよう努力し続けることを誓う。


第3章 医師会として何をなすべきか
(1) 医師会は国民が安心して健康に暮らせる社会を目指します

 「一生懸命働いても報いられない」「ゆとりなく、ただあくせくと働いている」「年金はちゃんと受け取れるだろうか」「病気になったらどうしよう」

 現在の日本は国民に将来への希望を感じさせないような社会になっている。老齢人口が急速に増加する一方で、出生率の低下に一向に歯止めがかからない。このままでは、年金・医療保険などを支える勤労世代が不足なまま、未曾有の高齢化社会を迎えることが確実だ。

 医療保険制度についていえば、保険料率の引き上げと医療費への国庫負担の切り下げが繰り返し行われ、医療費における家計負担率はかつてない水準に達している。このままで国民皆保険制度が維持できるだろうか。

 医師会はこうした理不尽な医療保険政策には断固として反対する。憲法第25条にあるように「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のであり、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」はずだ。残念ながら現在の医療政策には、国民に暖かいまなざしをそそぐ姿勢は見られない。硬直した財政政策を改革の名前で押し進めているだけだ。

 特に国民健康保険の現状については憂慮すべきものがある。社会保険から国民健康保険への移行は退職、事業所の整理・倒産等に伴う失業がその契機となる。その場合、保険料負担は家計を著しく圧迫する要因となる。我が国は失業手当の給付内容が欧米諸国に比べ不十分であり、縮小した収入から保険料を納めることは大変困難だ。中高年での失業は、中途採用の道が険しく、長期的な失業へと結びつく可能性が高まるうえ、自営業者の収入も落ち込んでおり、保険料負担能力は著しく低下している。このような状態は、現在著しく低下している国保保険料の収納率を、さらに低下させることが懸念される。国民が安心して医療機関に受診することができない状態は、病態を悪化させて就労の機会を奪い、ひいては内需の冷え込みを増悪させる。

 医療は、国民が安心して住める社会を担保する社会的共通資本である。すべての国民が、基本的な医療については、平等で自由に受けることのできる環境を維持し続けるべきだ。国民は決して怠けて保険料を滞納しているのではなく、不況下での様々な要因のため、収めたくてもできない状態に陥っているのだ。特に低所得者にとって耐え難い額となっている国保保険料の負担を軽減することが必要である。現在著しく損なわれている保険者間の不平等を解消し、統合する方向を確立しなければならない。将来にわたって良質な医療を享受することが可能な国民皆保険制度にしようではないか。 

 医師会はこれからも国民とともに、健康を守り、安心して暮らせる日本に変革していくことを約束する。

(2) 医師会は医師の自治・自浄を行います

 医師会は良識に従い不正な医療に手を染めないことを誓う。会員は同僚にも同じ姿勢を求め、誤った道に踏み込んだ場合は庇い立てせず厳しく糾弾することを約束する。

 医師会は弁護士会のような強制加入団体ではない。不正を行った会員に対して除名、戒告等の処分しか実施できず、医療行為の禁止や医師資格停止等の実効ある処分を行うことはできない。これまでも医師会は除名などの処分を実際に適用してきたが、医師会からの追放は医療行為の禁止ではないため、悪意ある医師は医師会に加入することを避け、あるいは自ら脱会するなどして医師会からの処分を逃れようとする実態がある。

 医師会は有効な自浄作用を発揮するため、弁護士会と同様の「医師の自治」を要求する。裁判所や国からの処分を待たずとも、医師会が不正な医療行為であると認定した場合には、保険医資格停止等を含む処分を行い、強力な自浄機能を発揮し医師倫理の高揚を図らねばならない。

 医師会は活動費を特定の企業や個人等に依存することなく、会員から徴収した会費によって運営されており、医師の資格を評価するのに相応しい唯一の団体である。

 医師の自治と強力な自浄を実現するためには、医師会を医師全員が加入する組織とすることが必要だ。医師法を改正し、医師免許の取得条件や現在は規定されていない更新条件などを新たに決めなければならない。いずれも法律の改正が必要であり、困難な点も多くあるが、国民が期待する良質な医療を提供するためには是非必要な仕組みである。

 一方、厳しい処分を行うには、標準的な医療行為について十分に周知徹底を図ることが必要である。これまでも日本医師会は生涯教育制度を推進してきたが、新しく医師免許更新制度を創設し、すべての医師が系統的な生涯教育プログラムを履修することを義務とすべきだ。医師の生涯教育の内容には、医学、医療技術は勿論、社会保障制度、医師・医療倫理、患者の権利、患者との対話法等も含め、幅広い研修が必要だ。

 医師会は不正・未熟な医療を許さず、公正な立場で国民の健康を守り続けることを約束する。

(3) 医師会の組織を強化しすべての医師の叡智を結集します―特に若手医師会員育成を通してー

 今日のような厳しい医療状況の中では、医師会の組織力強化が絶対に必要だ。特に青年医師層の医師会加入と育成が重要である。すべての医師の叡智を結集すべきときが来ている。

1. 医学生時代からの医師会参加システムの構築

 現在は医籍登録後かなりの年数を経て医師会に入会する会員がほとんどだ。医学生のときから医師会に共感を持つようなプログラムが必要である。医師会活動の紹介、実地医療体験実習等をカリキュラムに入れ、正規の授業として単位取得が可能となるシステムを構築すべきである。また医学生会員制度を創設する。

2. 新医師臨床研修制度における医師会準会員としての資格化

 新医師臨床研修制度と医師会活動との協調体制を構築することが必要である。医療制度、診療報酬制度、医師・医療倫理、医療安全、地域医療等については医師会が主催する研修プログラムを必修とすべきだ。研修期間中の医療事故に対応するため、日本医師会医師賠償責任保険を拡充し、研修医をこの保険機構への参加をもって準会員とする。

3. 新規入会会員のフォローアップシステムの構築

 入会3年間は定期的なオリエンテーションへの参加を義務付け、数名規模のセミナーチームでの助言を行う。同じ地域の役員または役員経験者などを新規会員の担当とし気軽に何でも相談できる体制とする。

4. 生涯教育制度、広報活動の活性化

 新たに設置する日本医師会衛星テレビ局と会員との双方向性デジタル放送を活用し生涯教育に資する。このことは特に出産や育児のために医療現場を離れざるを得ない女性会員に有用である。医師会入会に際してはCD-ROM、メール等ITツールを使って医師会の案内、入会の手順を紹介する等の広報活動を活発に行う。

5. 会員に特化した特典の工夫

 日本医師会会員証をICカードとし、各種生涯研修等における参加資格証明としてカードリーダーでの単位登録を可能とするほか、プレミアムカードとして各種特典制度を付加する。取得単位については医師会ホームページ上で確認可能とし、世界医師会とも連携してIDカードとしての機能強化を図り、NPO等の国際協力現地活動にも常に携行すべきものとする。

6. 会員の医師会活動における役割分担の平均化

 医師会活動について十分に知らない会員が多い反面、役員は多忙を極めている。情報の共有化、相互理解を深めるうえでも、すべての会員は何らかの委員会に所属し、医師会活動の一翼を担うようにすべきである。

7. 理事会・各種委員会を公開し、会員参加を図る

 医師会の議論と活動が見えないという会員が多い。理事会・各種委員会は透明性確保という点からも可能な限り公開し、自由な傍聴を可能とする。

8. 組織力強化に向けた企画立案委員会の立ち上げ

 医師会における各種委員会では、組織力強化につながる内容を含んでいるものも見られるが、特化したものはない。上記の取り組みを踏まえて、組織力強化に特化した委員会を設置する。

(4) 医療の安全確保のために地域医師会に中立委員会を設立します

 医療行為には常に一定の危険が伴う。医療事故は医療過誤とは区別して考えるべき問題ではあるが、いずれも原因の徹底的な究明、再発防止対策、被害者の救済が必要であり、医療過誤の場合はさらに償いが求められる。

 医療訴訟に関する最高裁判例が年々医師に厳格になる傾向があるが、判例の基礎となるものは、究極には文化、生活、倫理、哲学、世論であり、翻って国民が形成すべきものでもある。訴訟に至らない範囲内の医療の安全管理と在るべき対応については、中期的には国民的議論が期待されるところだが、短期的には地域医師会に設置される中立委員会にその対応を委ねることもあり得るのではないか。

 現在でも地域医師会には医事紛争対策委員会等が設置されており、医事紛争のほとんどがこの委員会で対応されている。医師会員からは一定の中立性を保った機構と考えられているようだが、外部から見れば医師会員擁護のための委員会として見られてもやむを得ない。委員会構成員はほとんどが医師会員で、弁護士も医師会の指名した者であり、外部には全く開かれていないからである。このため新しく設置される中立委員会を以下の構成とする。

構成メンバー

1) 医師(学術代表) 事故標榜科で当該地域以外の大学教授もしくはこれに準ずる者1名
2) 医師(診療代表) 地域医師会長の指名する事故標榜科の医師会員1名
3) 医師(医師会代表) 地域医師会長の指名する他科の医師会員1名
4) 弁護士1名 地域弁護士会の指名するもの。医師会顧問弁護士は充てない
5) 報道関係代表1名
6) 地域住民代表1名

 中立委員会での判定結果は厳しく守られなければならず、従来に比較して医師に不利になるかもしれないが、委員会で無責と判断された場合、より毅然とした態度をとることができる。マスコミの報道にも一定の節度が働くであろうことが期待される。

 地域住民、マスコミにも開かれた中立委員会の設立で、正々堂々と医療行為を行いたいものである。

(注:現在日本医師会医師賠償責任保険では、医学、法律学の権威者によって構成される中立公正な賠償責任審査会が設置されている。これには、保険者、日本医師会の利益を代表する者は参加しない。)

(5) 国際化する医療に対応できる医師を養成します

 医療の国際化には、世界各国が共通して抱えるマクロの問題と、多国間の交流が盛んになることによって生じるミクロの問題がある。

1. 医療の国際化が抱えるマクロの問題:グローバル化する保健医療の問題

 我が国では国民皆保険制度に代表される世界で最も優秀な医療システムを構築してきた。しかしながら、高度経済成長の終焉、少子高齢化、多様化する価値観を反映して、医療システムの再考が求められている。

 このような問題は日本固有の問題ではなく、先進国、発展途上国を問わず世界中のすべての国が直面している問題である。

 グローバル化する保健医療の問題点は、要約すると次の3点に集約される。

 ・保健医療の予算の問題
 ・保健医療システムの在り方の問題
 ・保健医療の効果と安全に関する問題

(根拠に基づく保健医療 J.A.Muir Gray )

 我々医師は安全な医療を患者・国民に提供するためにも、グローバル化した保健医療の問題を理解し解決しなければならない責務があり、問題解決の議論に積極的に参加しなければならない。

1) 医療システム開発局の設置
 日本医師会は、国民医療、社会保障・医療保険、医業経営・医療福祉関係といった形で、医療システムの在り方を縦割りで検討している結果、各種会議や委員会が横の連携を持たずに活動しているきらいがある。また、シンクタンクとして日本医師会総合政策研究機構が設置され研究成果を発揮しつつあるが、まだまだ十全とは言い難い。それぞれの活動が有効に効果を発揮するために、上位機関として医療システム開発を担当する部局を設置し、「医療のグランドデザイン」を具体化できるようにすべきである。同時にこの部局が世界の医療界に対しても日本の優れた医療システムの紹介と啓蒙を行い、活発に他国の医療システムの研究も行うべきである。
2) 日本医師会認定医制度の強化
 現在、日本医師会では認定医制度、生涯教育制度を設けているが、国民は既存の情報に加えて医師の経歴や保持している認定領域、臨床症例数といったものまで公開を要求してきている。日本医師会では、これらの要望に答えるべく医師会員の研修履歴のみではなく Physician Profile を作成代行し、認定 (Approved physician) するシステムを確立すべきである。
2. 医療の国際化が抱えるミクロの問題:多国間の交流で生ずる保健医療の問題

 遺伝子解析が進みヒトの全遺伝子情報が解読される時代を迎えて、最先端の医療技術が世界中で競争開発されている。それらの恩恵を希望する患者・国民のニーズ、先端技術提供を積極的に行いたいと希望する提供者のデマンドは、双方が年々高くなり、現行の日本の医療システムの枠組みでは解決し難い問題となっている。

 一方、国際間で盛んになる人の交流は、AIDS、BSE、SARSを象徴とする輸入感染症の問題、日本で就労する外国人の健康問題、外国で働く日本人の健康問題等、今まで想定しなかった保健医療の問題を生ずるに至っている。

 さらに、酸性雨、オゾン層の破壊、地球温暖化等の地球環境破壊の問題は、一国のみでは解決できない保健医療の問題を提起している。

 我々医師は、これらのミクロの保健医療の問題解決に対しても、積極的に参加する責任がある。

1) 未来医療委員会の設置
 2002年の世界医師会総会で、日本医師会が提出した「高度医療技術と医の倫理に関するWMA宣言」および「患者の安全に関するWMA宣言」が採択された。日本医師会は高度先端医療技術の問題の重要性に早くから着目してきたが、今後も次々と出現する新医療技術に対応するための委員会を設置すべきである。
2) 国際医療部の設置
 現在、日本には約180万人(平成13年 外務省資料)の外国人ビザを所有した人々が居住しており、今後アジアの発展とともに激増することが予想される。日本医師会に国際医療部を設置して、これらの人々が安心して医療が受けられるための環境整備と、医師会員にそのためのツールを提供する役割を担うべきである。

 以上のように、国際化する医療は、我々医師の日常の診療に直接影響する問題であり、国民が安心して安全な医療を受けられるためにも、医師はこれらの問題に対応できる力を養い、診療に臨む責務があると考える。日本医師会は国際化に対応できる医師を養成することを約束する。


第4章 地域住民・国民とともに
(1) 医療、福祉、医師会活動について地域住民とともに考え行動します

 最近の医療保険制度改悪に際して、医師会は反対運動を展開したが、国民世論を十分に盛り上げることはできなかった。国民の健康を守ることは我々医師の使命であり、より積極的な日常活動を通した地域住民・国民とのパートナーシップのうえに、医療保険制度に対する共闘体制を構築すべきである。

 世界各国の医療制度の歴史、現状、問題点について正確に学び、どのような社会保障制度を選択すべきかについて、地域住民・国民とともに考えていかなければならない。このためには一人一人の医師会員が、地域の住民と少しずつでも着実な日常活動を続けていくことが肝要である。

 「税金をもっと払ってでも医療・福祉を充実して欲しい」「社会保障レベルが下がってでも個人負担を少なくして欲しい」等、対立しあう要望と意見がある。在るべき社会保障制度の選択は国民がなすものであり、我々医師がその選択に関わるには、地域住民・国民とともに行う草の根活動の積み重ねのうえでしかない。地域住民と積み上げていく活動の一片を、大きなネットワークに育てる行動を今日から始めることを約束する。地域住民とのパートナーシップが大切であり、そのための具体的な方策の一歩を恐れずに実行したい。

地域住民参加のe-医療検討委員会の設置

 郡市区医師会、あるいは都道府県医師会レベルで、地域住民と医師会員が意見交換する委員会を設置する。医師会委員は各世代に1人から2人とし、住民委員も世代ごとに公募する。住民が求めている医療はどのようなものか、身近な問題を一つ一つ気軽に相談、議論できる場としたい。委員会の内容はホームページで公開し、課題ごとに設けられた電子会議室で委員以外の会員、地域住民の意見を求め集約する。行政広報、地方紙、地元テレビ局との連携も視野に入れる。委員は2年で交替し、出来るだけ多くの意見を反映させるとともに、建設的な議論方法と政策提言のコーディネートを学び実践する。運用によっては中立委員会的な役割も持てる可能性がある。医師会の進める施策に対しても、常に地域住民のパブリックコメントを求め、評価される姿勢が欠かせない。これらの施策を着実に実行していくことで、地域住民とのPartner Relationship Management(PRM)を学ぶことが大切である。

(2) 国民の医療を守るために医政活動を推進します

 我々医師は、専門職能集団としての立場から、医療チーム、患者、地域住民、国民との連携を深め、患者本位の医療とは何か、どのような社会保障制度を構築していくべきかについて考える責任がある。民主主義国家を構成する国民の一員としての責務の観点からも、厳正に運営される医政活動は医療制度改革のために欠かすことができない。医師連盟との関係の整理を含めて、医師集団の総意をどのように国政に生かしていくかを考え、以下の行動を実行するべきである。

1. 地域医療を通しての意識の醸成

 毎日の診療を通して常に患者、地域住民の要望、期待を理解することが基本である。

2. 医師会活動の理解

 制度構築に向けての足がかりを作るため、医師会活動を理解し積極的に参加すべきである。

3. 医政に対する日常的な討論会、懇談会の実施

 医政に対する興味・関心を高め、情報の共有化・相互理解を深める。公職選挙法、政治資金規正法等、選挙関連法案についても学習する。

4. 医師会と医師連盟との関係の整理

 医師会と医師連盟の関係を厳正に整理するとともに、医師連盟の活動方針と医師会員の意識との乖離について分析、評価する。

5. 恒常的な議員との懇談会

 意見交換会を恒常的に開催し、議員の思考、意識、活動について知り、評価するとともに、医療現場の声を届ける。政治の場における意思決定の流れや、政策立案の手法について学ぶ。

6. 青年会員による自主的な医政活動

 上部機関の決定による医政理念・議員選定ではなく、上記1−5を踏まえ青年会員の自主的な会を結成して活動を行う。自己満足、他者批判に陥ることなく、 医師会との密接な連携を保ちつつ、参加会員の主張を十二分に展開するとともに、連帯感を醸成する運営が求められる。

7. 日常的な広報活動の実施

 地域住民・国民に対して、在るべき医療の姿についての医師会の考え方について、日常的に広報することが大切である。会員の医政活動への興味・関心を高め ていくための会内広報活動もより活性化すべきである。

8. ITを活用した医療政策立案能力の向上と活性化

 ホームページ上に電子医療政策の広場を部門別に立ち上げる。会員の意見を求め、恒常的に掲載し、IT上で開催される電子広場での議論を行う。寄せられた意見の整理と管理は会員から互選された運営委員が行い、政策素案としてまとめ理事会に提出する。理事会はこの政策提言を尊重し、医療制度関連法案等の立案を行い、地域住民、国民、地方自治体、政府に提案する。施行された法案・条例に対して科学的な評価を行うとともに、達成度について常に分析、再評価の対象とする。運営や課題についてはパブリック・インボルブメントを求める姿勢が重要である。

(3) 地域住民・国民とともに医療政策を立案・実行・評価します

 医療・福祉・年金など社会保障は国民の最大の関心事であり、選挙に際しての意識調査でも常に最上位を占めている。しかし社会保障政策の立案は、ほとんどが厚生労働省に委ねられており、議会や医師会の活動が報道されても、国民には遠い存在となっている。国民にとって在るべき医療制度を立案、実行、評価していくためには、地域住民・国民とともに医療政策を日常の生活から地道に立案する方策を学び、実行することが必要だ。

 近年、市民が自発的に地域の暮らしに根ざして活動し社会貢献をなすことが多くなり、平成10年の特定非営利活動促進法の制定以来、今では1万5千以上もの団体が各都道府県と内閣府に認証されている。

 こうしたNPO法人を始めとする各種活動体に、積極的に参加もしくは活動主体となることによって、地域での政策立案と政策評価システムをともに学び、ともに高めあっていくことが重要である。医療に関する情報収集と公開については、日本医師会総合政策研究機構の支援活動が欠かせない。さらに政策立案、決定、評価過程においてもITを活用する視点が大切である。

 ITテクノロジーの進化の過程で、我々はオープンソースの持つ意味について多くのことを学び取った。公開されることによって、いかに飛躍的に問題点が把握され改善されるかを目の当たりにしたのだ。医療が病める人に対する人類愛から生まれたのであるなら、医療政策もすべての人々に開かれなければならない。一人で政府・官僚の施策に憤慨するのではなく、26万人の医師集団でのみ医療政策を考えるのではなく、1億2千万人の国民とともに考え、行動し、その中で未来を見つけようではないか。戦略的電子医療政策立案評価システムの構築を地域住民・国民とともに行うことを約束する。


おわりに

 若い臨床医たちは、これまでの「治す医療」(治す医療は今後も最重要事項であることに違いはないが)から、「支える医療」に重心を移し始めている。「治らないのは病気が重いからで仕方がない」「やるべきことは全部したので、もう打つ手がない」などと言ってきたことが、どんなに患者や家族を苦しめただろうか。医療には必ず限界がある。限界を知り、その限界に到達しても決して見放さず、患者のそばに寄り添うことのできる医師が社会の要請である。高い臨床能力を維持しつつ、なお且つこの要請に応えられる医師の要件について議論した。

 「医の倫理綱領」や「医師の職業倫理指針」はいずれも高邁で熟慮された内容であるが、我々の今回の約束は、それらとは異なる視点で若い臨床医が現場で苦い経験をしながら実感してきたものばかりである。「治す側と治される側」「奉仕する側と奉仕される側」「支える側と支えられる側」いずれの局面でも、患者と家族と医師、それぞれが自立した人間としてそれぞれを尊重し、理解し、チームとなって病気と向き合うことが必須である。

 医師、医師会、医療制度、社会保障に関する議論には、我々医師が時には患者であり、患者の家族であり、常に地域の住民であり、国民である視点がともすれば欠如していたように感じられる。患者は、顧客でも被保護者でもなく、ともに生きるパートナーである。医療現場では、医師は疾病と闘う「患者チーム」の一員であることを再認識すべきだ。我々医師の拠って立つ原点が、すべて国民とともにあることをこれからも大切にして、魂に炎を灯し続けていたいと思う。医師であることが誇りであるという意識を、次世代の若き医師たちにも手渡したいと願うからである。

 William Oslerの指摘によれば、「医学教育の目的は、進むべき方向を示し、不完全な地図を与えること」だそうである。今回の答申は、不完全なものかもしれないが、我々が進むべき方向を示し、迷路から脱出するための「地図」であり、また同時に患者・地域住民・国民に対して必ず守る約束であることを宣言するものである。


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